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私は、記事を公開したあと、自分の記事を眺めて 反論を考えるんです。 (そんなことしているから更新が遅いんでしょう) ―――自殺したら自分の本当の価値がバレると思うと 怖くて死ねない。 でも、よくよく考えると、 私が死んでも、私の本当の価値はバレないかもしれないですよね。 人は往々にして思い出を美化しがちだから、両親ですら私の価値を示す ような「証拠」に気づかないかもしれません。 さらに、「本当の価値」とひと言で言っても、その価値は値段を つける人によって、また評価する観点によっても違うから、必ずしも 低い評価になるとは限りません。 私は、世間一般の感覚からして自分に価値があるとは思えませんが、 こんな私に価値を感じるような奇特な人も、いないとは言えません。 また、両親は私に16年という時間と、2000万円以上のお金を 費やしているのは重い事実ではあるけれど、 私が死ぬことが、必ずしも両親の貴重な時間とお金を奪う とは言えないと思います。 たとえば、私が仮に死んだとしても、宗教は 「息子さんの死はご両親の人生にとって大変意味のあることなのです」 などと囁きかけるかもしれませんね。 これに両親は納得するかもしれないし、しないかもしれない。 そのうち、両親は 「息子が死んでくれたおかげで、全知全能の神・ホラエモンさまから 幸せに生きるきっかけを与えられたのです!!」 とまで言い出すかもしれない。 要するに、自分の死後のことは、完璧な予想ができないのです。 私はひどく取り越し苦労をしていました。 「死後のことは分からない。だからこそ死んでみる価値はある」 ひょっとするとこういう結論もあり得るのかもしれません。 しかしちょっと考えただけで、この考えは容易に否定されます。 なぜなら、 私の死は、究極的に陳腐だからです。 人間が嫌いで引きこもるようになり、 そのまま自殺。 人生に絶望した青年が自殺。 自分を偽り続けた人間が、苦しくて自殺。 青年が同性愛を苦にして心を病んで自殺。 あまりにステレオタイプな、あまりに陳腐な結末では ありませんか! なんのヒネりもない、誰でも考えそうな最期! しかも上に挙げたような種類の自殺は、 多くの場合報道されません。 公共性がないからです。 あまりに陳腐な私の死には、何の価値も公共性もないのです。 私は 生きても陳腐、死んでも陳腐 なのです。 そう考えると、死のうとすることが バカらしく、また怖く思えてくるわけです。 (やっぱり人間の価値は死ぬときに決まるんですね) なんだか、死ぬことについて考えれば考えるほど、 自分が実際に死ぬことから離れていく感じです。 「リストカットを繰り返す」という奇妙な表現が よく見られるのもなんだかわかる気がします。 本気で死ぬときは、感情に任せて「えいっ」と行った方が いいのだと思います。 死に自分から少しずつ近づこうとすればするほど、 実際の死からは遠ざかるものなのでしょう。 さて、死について考えたあげく、袋小路に陥った人間は その先に何を考えるのでしょうか。 (余談ですが、自殺する思春期の同性愛者は一定数いるようです) http://ww35.tiki.ne.jp/~yossyossy/w_ribbon1.html 「読んだよ」のクリックをもらえると嬉しいです〜 |
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死にたくない気持ち〜過失
「ああ、瀬戸際ってのはね、もちろん苦しいんだ。その上、苦しいのとは別に、その疲労 ...続きを見る |
鬼渡り 2006/12/06 03:24 |
死にたい気持ち〜さよなら白衣
直治の遺書 姉さん。 だめだ。さきに行くよ。 僕は自分がなぜ生きていなければなら ...続きを見る |
鬼渡り 2006/12/06 03:24 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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人間に死というものは存在しない。なぜならそのときあなたはこの世にいないから。って、哲学者の言葉。だから、死んだ後のことは考えても無駄ですね。遺書も無駄だと私は思います。自分の死を自分で確認できませんからね。だから、死ぬことをあーだこーだ考えているうちは死なない。 |
yukipomme 2006/11/02 15:25 |
返事が遅くなりすみません。 |
一匹羊 2006/11/04 02:03 |
この度、「読物屋本舗 読まれ筋ランキング」と言う新ランキングサイトがスタートします。 |
読物屋本舗 2006/11/07 20:34 |
はじめまして。エッセイランキングからきました。 |
ぺんぺん草 2006/11/29 18:53 |
シンプルなんだか複雑なんだか、おもしろい考え方をしてらっしゃいますね。自殺した患者さんには少なからず出会ってきましたが、この人は、この病気を抱えて生きていくのは本当に辛かったろう、本人は死んだほうが幸せだったのかもしれない。と思えてしまう人も中にはいました。苦しみ抜いて死ぬことはその苦しみが心だろうが身体だろうが陳腐ではないと思いますよ。 |
花 2006/12/06 03:23 |
はじめまして。先日自分は自己反省のブログを始めたばかりなのですが、もしよかったら私のブログに遊びに来て下さい。よろしくお願いします。http://blog.livedoor.jp/tabahiko |
tabahiko 2006/12/28 20:22 |
おはようございます。日本反省協会と申しますが、お世話になっております。 |
日本反省協会 2007/03/31 06:52 |
突然のコメントで失礼いたします。 |
magazinn55 2007/09/13 15:36 |
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