人間嫌いのゲイの日記

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help リーダーに追加 RSS 自意識過剰すぎて死ねないんです 2

<<   作成日時 : 2006/10/23 00:44   >>

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更新間隔が開いてしまうな〜
1回である程度の分量は書きたいけど、
多く書こうとすると、更新頻度が落ちてしまいます。。
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「自殺したら周りがどんな反応をするか」

それを考えると怖くて死ねませんでした。


「人間の価値はその人が死んだときに決まる」


よく言われるセリフですが、



私は自分の人間としての価値を判断されるのが怖かった
のです。





私は、よくこんな妄想をしていたんです。


「もし私が死んだとき、私は最初から存在しなかったことに
なったらラクだろうに・・・」




ナイフで胸を一突きした瞬間に、私の肉体が消えて
なくなります。


そして死んだとたん、私の部屋の本やCD、その他のガラクタ
が消えるのです。


自分がいた教室からも、棚に置きっぱなしになっている
教科書やジャージ、リコーダーなどが消えます。


そればかりか、誰もが私のことを完璧に忘れてしまいます。



どんな顔をしていたのか

どんな人柄だったか

学校ではどんな活動をしていたのか

もちろん名前も

いつ生まれたかも



誰もまったく覚えていないのです。



私が自殺すると、
私が存在した証拠のすべてが消えるのです。




ああ、なんと言う完全犯罪、
なんと完璧な「自分の価値の粉飾決算」でしょうか。





「私が死ぬと、私が存在した証拠のすべてが消える」


そんなB級SFのようなことがもし可能なら、
私は今すぐにでも死にたい、そう思っていました。
(いまでも思っています。)





でも、現実は違います。



私が死んだら、やっぱり死体は残るし、

死体の残らない死に方をしても、


遺品をすべて処分してから死ぬのは大変です。

たぶん捨て忘れがあるでしょう。








私が死んだら必ず死体が残ります。



死体が残らない死に方をしても、

遺品を全て処分してから死ぬのは難しい事です。



衣類や本だけでなく、実家の古いアルバムまで
処分しなければなりません。


捨て忘れた日記なんか出てきたら大変です。
いろいろな事がバレてしまいます(笑)


とにかく、「自分の実態」が想像できてしまうような
モノを残してはいけないのです。





死体や遺品といったモノを処分できても、
「思い出」を消すことはできません。



この「思い出」が厄介なのです。

これがある限り、私はあらゆる価値判断をされるのです。



どんな人柄だったか

友達は何人いたか

どんな活動をしていたのか

頭はよかったか



さまざまな「思い出」から「私という人間の価値」が
私の死後に形成されるのです。
悪いことに、私の弁解が許されない状態で。






しかも、私の死後には「私という人間の価値」を
決めるように促す儀式が待ち構えています。



そう、葬式です。



葬式に来る人数

葬式に来た人

来訪者と生前の私のつながりの深さ

来訪者が私について語る内容の量と質

私の生前の活動






そのような事柄から
私の価値が測られると思うと、恐ろしくてたまりませんでした。

(葬式で故人の価値などいちいち考える余裕はない
 と知ったのは高校3年に祖父が亡くなったときでした)




葬式のあとも、遺品の整理など、
ことごとく私の価値を測ろうとするイベント満載です。


その後も四十九日、一周忌、果てには十三回忌まで、

いったい何度私のことを思い出すのかという感じです。





「私が、この現実の世界で自分の価値をごまかし
 続けるには生き続けるしかないのだ」


そう思いました。



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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
他人に重きを置く必要ないぜや
いずれ残された人たちだってしんじゃうよ
日本もなくなっちゃうし
地球も消滅
万歳万歳!
さきち
2007/12/02 22:33

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