人間嫌いのゲイの日記

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 自意識過剰すぎて死ねない

<<   作成日時 : 2006/10/17 00:27   >>

トラックバック 0 / コメント 3


しばらく更新が空きましたが、また再開します。



今回は、過去の回想というよりは今考えていることを
記事にしようと思います。



前回(時間が空きすぎて覚えていないかもしれませんが)、



人間嫌いの私が生きていくには道は2つしかなくて、

その2つとは



1.何らかの専門家になる。



2.人間嫌いを治し、人並みに生きる



だと考えていた、と言いました。


後に第3の選択肢「道楽(個人的享楽)に生きる」が
加わったとも言いました。






自分で読み返してみて、

「なぜ死ぬという選択肢が書かれていないのだろう」

と疑問に思った読者の方もいるのではないか、と考え、


この記事を書こうと思いました。







そうですね、確かに
「人間嫌いの人間は死ぬのが一番幸せなのでは?」

という考えはやっぱりあります。








「人間嫌いの人間は死ぬのが一番幸せなのでは?」


こうはじめて考えたのは高校2年、いや1年のときだったかな。




それでも、今まで死なずにいます。




別に、宗教上の理由とか、生きる意味を感じた、
とかいうわけではありません。




自意識過剰すぎて死ねなかったのです。




「自殺したら周りがどんな反応をするか」

それを考えると怖くて死ねませんでした。





「人間の価値はその人が死んだときに決まる」


よく言われるセリフですが、



私は自分の人間としての価値を判断されるのが怖かった
のです。




私は外面的には問題のないように生活していました。
(いろいろバレていた事もあるのかもしれませんが)



周りの人間関係にも大きな問題はなく、成績も普通でした。

(いや、成績が普通なのはウソです。体育と数学は非常に
苦手でした。)





しかし、私は自分自身が抱えている問題を知っていました。



「いま死ぬことは、自分の価値を粉飾決算することだ」


そんな風に考えていました。




そしてその粉飾決算がバレなければ、

「死は成功した」ことになるのでしょうけれど、

そうそう上手くいくはずがありません。






第一、自殺する時点でもう


「自分は問題大アリでした!」


と高らかに宣言することになります。




それからしばらく、私は自分が死んだあとの
周囲の反応について考えていました。




「読んだよ」のクリックをもらえると嬉しいです〜
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村 小説ブログへ

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして、あぁ〜そう言う考えもあるんだなぁーと。でも、ちょっとまてよ?と気になった事があったので… 人嫌いの人が、そのきらいな方々の評価気になるって?? 言い方は違えど例えば… 嫌いな人がする自分評価が気になる???かなぁ〜(>_<) うむ〜
やし
2006/10/17 13:13
やしさんはじめまして!
コメントありがとうございます〜

確かにわかりにくかったかもしれませんね。
この話には続きがあって、次回以降書く予定なんですが、私は「こんな奴らにどう思われようと知ったこっちゃないわい!」と思えるほど自分が好きではありません。

それから、私は「人がゴミのようだ!」とか「人が気持ち悪い」とか思っているわけではなく、人と関係を結ぶのが煩わしかったり、人を恐れたりするタイプなんです。
一匹羊
2006/10/17 23:45
自分が人間関係を結ぶ点について自分の話をすればいんじゃね、少数の友達を作ろうとしてないような。
takahiro4
2007/02/10 03:15

コメントする help

ニックネーム
本 文